昭和四十八年十二月十二日,朝の御理解
御理解 第六十一節 「神より金光大神に、いつまでも尽きぬおかげを話にしておく           のぞ。信心しておかげを受けたら、神心となりて人に丁寧に           話をしてゆくのが、真の道をふんでゆくのぞ。金光大神が教           えたことを違わぬように人に伝えて真の信心をさせるのが、           神へのお礼ぞ。これが神になるのぞ。神になりても、神より           上になるとは思うな。」
 この度の御本部参拝のおかげ頂いて、帰りの汽車の中ででしたけれども、本郷の・・・・鹿児島の大口教会に行っておられる、安武先生と、それから甘木の教会の修行生、やっぱり末永先生達が一緒に修行したという、若先生と二人でやって参りましてま、いろいろと信心話に花が咲いたんですけども、或る時に、甘木での先生方の会合の時に或る先生が、安武先生の初代のね、安武先生の信心を、一口でいうたら、どんな事になるでしょうかという話題が出た時に、筑柴本郷のいわゆる安武先生のお父さんです、今の親先生、本郷教会の親先生が、一口に例えば初代の信心をいうたら、一切の価値を発見され、それを価値づけられた価値あるものとして、それをされた事ではなかろうかという意味の事を、父が話たという事ですというて、安武が話しておりました。初代の信心の勿論あのように素晴らしい信心ですけれども、一口でいうたらどういう事になるだろうか。
 その価値というものをです発見して、それを価値あるものとして、のようになさったということであります。
 いよいよお互いはその価値を知らないから、値打ちのあるものでも、それこそ反故にしてしまったり、出来てしまったりするわけです。
 信心しておかげを受けたら、神心となりて、人に丁寧に話をして行くのが、真の道を踏んで行くのぞ。金光大神が教えたことを、違わぬように人に伝えて、真の信心をさせるのが神への御礼ぞと。
 だからここんところを見事に、初代は甘木の初代はなさったという事が言えるのじゃないでしょうか。金光大神の教えを受けて御自身がおかげを受けられた。
 皆さんも、それこそ安武先生が言ってましたが、とにかく甘木にはいくらでも伝説を生みなさったと。初代は本当に今の者が聞いたら本当だと思えないような事を実際いろいろいと私共の知っとりかぎりでも、成程それは伝説じゃろうと言うような話がありますよね。
 中でも例えば、枯れ木、枯れ葉、その塵と普通の者は、もう庭の塵とするものを、それを発見、価値を発見なされた。それをお粗末にするようでは信心はわからんというふうに教えられた。そういうような事から、いろいろエピソ-ドがあるわけです。 それでつい本当なことじゃあるじゃろうかといったような話になっている。
 例えば道を歩かれる、少し歩かれると、こうやって履物を履き替えられた。まあ足くせがわかるったんじゃないだろうか。ま、足くせというのが片々か、片ちんばになる履き方をする人があるてしょう。一様に履く。
 だから、御自身がそうだったんじゃないでしょか。ですから必ず履き替えられたととこういう。タオルなんか堅く絞られた事がなかったと、といったようなね、本当に伝説のような話がいつらも教えとして残っております。
 ならその先生の信心を一口でいうたらそういう、例えは価値をわかってその価値を現された、価値あるものにされた。
 皆が捨てるようなものをです、ああ天地の親神様の御ものと言うて、それを大事にされたと。そういう話がでました時に、私も最近はね、甘木の初代のああいう偉大な信心がどういうところから生まれたんだろうかと近頃しきりに考えるんですがねというて話した事でした。
 私は甘木の初代は、【   】の大恩、いうなら天地の御恩恵と深く広くわかられた方はなかったように思う。私共が知っておるとか、わかっておると言うだけでなくてです、もう本当にそれを有難いもの、勿体ないものとされた。
 天地の枯れ葉、枯れ枝一本の中にも、天地の御恩恵と見られたという事なんです。 ですから枯れ葉一枚でも、粗末には出来んばいという事になってきた。だからそういう価値を発見されて、その価値を価値たらしめられたと言う前にです、私が前に申しますところが根本になっとるところと思います。
 甘木の初代くらい、天地の御恩恵をいうなら身をもって感得された。しかも誰よりも深く、広くそれがわかられた。そこに一切のものをおしいただかれた。
 わけても人間、あちらのお弟子さんでありますところの、日田の堀尾先生が書かれましたお書物の中に、「神人と求め給う」という御本がございました。
 大変良い御本でした。天地の親神様がです、人を求め給うという事は、どういう事かと言うと、安武先生のようなお方を求めておられる。いうならば、神の大恩をわからせてもろうて、その恩に報いずにはおられないという人を求められた。
 そこから天地の親神様の願いが成就して行くのですから、そこのところが人に丁寧に、自分の助かった様子を人に丁寧に話して行くのが、神への真の道を踏む。
 だから安武先生は真の道を踏まれた。しかしいよいよ金光大神の教えた事を違わぬように、人に伝えて真の信心をさせられた。
 それから最高の神の、神様の御礼になった。昔から神様が一番喜ばれるのは、人のお供えだと言われております。いうならば、人を導くという事は、その人を導いてそれが真の信心をするようになって、そして真(まこと)の真(しん)の幸福になっていくことなんですから、その人を神様にお供えするのが神様が一番喜ばれるというその内容は、そういうようなことだと思うです。
 真の信心をさせるのが神への御礼だと。だから神様へのそういう最高の事ならば御礼が出来るのですから、お徳を受けなさらんはずがなかった。力といわゆる光を受けなさらんはずがなかった事るなるのです。
 お互いが、物でも人でも同じですから、その価値を知らない人間、特に人間は神の氏子とその神の氏子とまで尊い人間がです、いつの間にか我情我欲、自分の思いだけ自分の考えだけでやって行く生き方。又はそれこそ我欲、食べたい上にも食べたい、呑みたい上にも呑みたい。又は貯めた上にも貯めたい。その為には手段を選ばないといったような、我情が我欲がです、いうならば人間性を無くしてしまういうならば神性、霊性というか、人間の万物の霊長としてのその霊性までも欠いてしまう、無くしてしまって、いわゆる我情我欲の固まりのような、一生を終わってしまう。
 そこに難儀がつきまとうて、難儀から逃げれるということが出来ないで、終わって行く人が沢山ある。人間の価値というのは、そういう我情我欲を棄てる行き方を覚える、覚えさせてもろうて、それこそ人間本来の姿に立ち戻らせて頂いて、そこからいよいよ光を放つ程しの、私共にならせて頂くという。そういう大体値打ちのあるものですけれども、それを研こうともしない。改まろうともしない。心を神に向けようともしない。そこのところを例えば、甘木の初代なんかは、自分御自身が助かられた。 そこでやはり、そういう縁あって甘木に縁を受けた人達に、そういう人に丁寧に話を伝えて、人が真の道を踏むことによって真の信心が出来て、助かって行く事に専念されたということになるのです。
 だから俺は人間だというて、それが値打ちがあるのじゃない。私共が我情我欲が取れた時に、人間として本当の値打ちがあるのであり、又発揮ささるのであります、ね どんなに善い着物を着とったって、どんなに素晴らしい家に住んどったって、住んでおる中の人間がです、我情我欲の固まりのようなものが寄り集まっておって、真の幸せがあろうはずがない。
 そこで私共がです、まずは自分自身の心の中に光を感ずる、又は自分の周囲を明るくする事の出来れる信心にならせて貰う。
 そこに信心の喜び、楽しみを感じれれるおかげを頂かにゃならん。そこから自分の助かって行っておる姿を人に丁寧に伝えて行くという働きになってこなければいけん      ※         ※       ※      ※ 私が今度御本部にまりいまして、豊美のところへ参りますが、風邪を引いて昨日、ようやく起き上がりましたというところでしたが、もう本当に言う事だけは私がいうような事をいいますね。いうならば合楽流、まあ今のあそこに集まって来なさる、沢山集まって来なさる、先生方の批判をする。何処の先生が来てから、ああ言いなさった、こう言いなさったと、中でもある偉い先生が見えて、豊美さんあなたは合楽の出だから、たまにはあなたの勤めているところ、今内掌部に勤めておるわけですから、内掌部の偉い先生方には、時々にはお遣い物でもしにゃ、いうなら、給料も上がらんよという意味の事をしきりに本気になっ言われる。
 ところが豊美はそういう事は合楽の流儀じゃないというか、黙って聞いているけどそういう事は合楽の流儀じゃありませんという態度をとるわけです。
 けど、そげん折角言うてならうなら、あんた、それこそ成程周囲の偉い先生方に、お遣い物してもよいじゃないのというて来た事です。
 けどね、知ってある事だけは本当にそれは、もうやっぱりですね、私が言うような事をしっておるし、思うておる、わかっておる。ところで自分自身は一つも助かってない。だから合楽の方達はそうだと思うんですよ。人を助ける働きになってないという事です。一つも、そんなら自分自身が助かってて、人を助けるという事は、撫でたり摩ったりする事でなくてです、例えば、なら、古川家の中で、例えば、なら古川家の中で、嫁であるところの豊美一人が助かっておったらです、信心のない弟嫁さん達が、同じ屋敷内に小さな家建てております。
 いわゆる弟嫁、それからお母さん、おばあさん、豊美、あの狭い中に女が四人も、喧ましかとどんが居るからです、平常心を保っておるようにしても、ではないようなものを感ずるです。
 だから豊美さんあんた一人が本当の光を頂く、本当に助かったら、その信心のない薄い人達が、豊美さんの生き方が一番良いという事になってくるのだろうけれども、あんたがいつもその、カチッカチッとその合楽の生き方をそこに見える先生方が、余りにも違う、そしてこの頃かる偉い先生が見えてから、合楽は借金で御広前が建つとっげなのちゅう話をしなさった。
 けれどももう、成程いくら借金でも、もうそれはね、信者に無理をいうたり、それで借金を払うのに困るといったような事ではない。
 もう実に神ながらの借金で神ながらのおかげを頂いておるという、私が言うたっちゃそれが全然先生にわかんなさらんち、言うて腹かきますとですよね。
 ですから知っておるけれども助かっていない。もうどんな場合であっても、いうならば、にこやかにしておらねばならない。だから私は、この度帰って来る時に申しました。もうあんた、どうでん、こうでん、合楽の信心もばってんが、善導寺の親教会の信心を頂きなさい。あちらの奥さんを見てごらん。どんな場合であってもにこやかじゃろうが、そして心ではしゃんとした、それこそ奥様の心はどこまで深いかわからんというものを感じようが。ああいう信心をあんたせにゃいかんよと言うて、これは奥城を頂いた事ですから、その事を伝えて来ました。
 もう腹の中に思うとることがもう、態度に顔にすぐ出てしまうのが合楽の信心ですそれではね、余りに浅い。だからどんな場合でもにかこやにしておらにゃ、豊美達の場合なんかは嬉しい時にはにこやかにらしとるけれども、そうでない時にはぷ-っとした顔しとるというような、だから今、豊美さんがどうだということがすぐわかるような事はいけん、ね、
 顔、様(よう)はいつもにこやかにして、心の中はどれだけ深いかわからんというくらいな、根性を持たなゃいけないよというような事を話して来たことでした。
 これなんかは合楽の信心を、ある意味で本当にしっているわけです、ね、それはここの家庭の奥の方の事からです、もう本当に合楽の場合は、信心、神様一つでおかげを受けておる事はしっているわけです。
 だから合楽の生き方じゃなからにゃ本当の事じゃないという事をしっているわけなんです。けどそれをしっておるだけでは自分自身が少しも助かってないという事。
 だから合楽で皆さんが本当にこれが光である、これが力である、これが徳であるというものを頂くためには、それをしっておるだけじゃいかん。それを行の上に表して自分自身が助かっていかねば、その助かったものをもって、人に丁寧に話のじゃなからにゃ、伝わらん。
 甘木の初代はそいう意味あいに於いて、御自身が助かっておいでられん。そして、然もその助かっておられた過程を、深く広く人に伝えていかれた。神様はそういう人を求めたまうておるのですから、その神様の求めに応じるというか、応えさせて頂く信心をです、私はここでは説いておられると思うです。
 しかもそれが神様の御礼、しかもそれがお礼という事は最高のお礼で、神様の御礼ですから、神様が喜びなさらんはずがない、その神様へ喜びが帰ってきた。
 又、私共の上に光にもなりゃおかげともなって現れてくるのがお道の信心だと思うます。安武先生の信心、その価値を発見したその価値を、価値あらしめれる働きをなさった方なんです。
 一口でいうたら、安武先生の場合は、そうだというふうに言われたという事です。 如何に価値のあるものだとわからせて頂いても聞かせて頂いてもです、まずは天地の御恩徳というか、神様の大恩がわからっなければその価値を生かそうとする働きが生まれてきません。これが根本です。
 そこからお互いが本当の意味で助かっていく。自他ともに助かって行く。しかもそれが神様の御礼という程しになってくるような働きをね表す。
 豊美じゃないですけれども、合楽の信心をある意味では、いうならしっている、しっておるだけでは一つも自分の助かりにも人の助かりにもなって行かない。
 まあそれを聞かせて頂きながらいろいろ考えさせられたんです。そういう中に、例えば豊美達夫婦が、これは本当に、もちっと本気で信心させてもろうて、布教にも出らせて頂くような働きになるのかもしれんといったような事を感じよるようでした。 だからそういう意味で私は有難いものだなと思うてきましたけどね、いうなら価値あるものを価値あるものとして、感じだしたそれを大切に、今度はしなけれは出来ない事が朧気ながらわかっていきよるようなふうに思う。
 しっておるだけじゃつまらん。それを自分のものに血肉にしていかなければ合楽で信心している値打ちがないですね。
            どうぞ。